日本のユネスコ創造都市、パリでの存在感は
パリのユネスコ本部に日本の地方都市が集まりました
10月18日、パリのユネスコ本部で、日本の魅力的な文化や創造性について「地方」という視点から、世界の人たちに見てもらおうとするイベントが開かれていました。出展した都市は、山形市、金沢市、浜松市、鶴岡市、札幌市、神戸市などの地方都市です。いずれの都市も独特の地域文化を持っていて山形市以外はユネスコの創造都市として認定されています。(山形市は次回のユネスコ創造都市に申請する予定で、現在はまだ認定されていません。)ユネスコ創造都市ネットワークとは、各都市が文化の多様性を保ちながら交流や連携を進めていけば、文化がより活性化するという理念のもと、ユネスコが進めている事業です。創造都市には工芸、デザイン、映画、食文化、文学、音楽、メディア・アーツの7部門があり、世界中で116都市が認定されているということです。
実は日本人もよく知らない地方都市の文化
地元の浜松市が音楽分野の創造都市であることは知っていましたが、ほかは金沢市が工芸、神戸市がデザインではないか、というなんとなくの認識があるくらいで、それぞれの地方都市の特色について、自分がほとんど知らないことにまず気がつきました。ちなみに、札幌市がメディア・アーツ、鶴岡市が食文化、山形市は映画の創造都市だということです。私のように地方都市で生まれ育ち、地方の文化を意識しているつもりでも、ほかの地方都市となると、ほとんど知らないということは、実はよくあることなのかもしれません。自分自身の認識が浅かったこともあり、こうした地方の都市が連携することで可能性を拡げられるというユネスコの考え方には、あらためて納得させられました。
音楽都市「浜松」の知名度は
これら日本のユネスコ創造都市が世界に向けて発信しているわけですが、はたして日本の地方都市やその文化はどの程度、知られているのでしょうか。浜松市のブースを訪ねると、YAMAHAの楽器、KAWAIのピアノ、Rolandの音響機器が並べられていました。ブースで楽器を眺めていた人に声をかけてみると、YAMAHAやKAWAIの名前は知っていても、それらの企業がある浜松市については全く知らないと答えてくれました。さらに何人かに声をかけましたが、世界的なブランドの名前は知られていても、これらのブランドが浜松市で育ってきたという背景については、ほとんど知られていませんでした。逆に、浜松市に音楽産業が集まっていることを知って、日本の大手楽器メーカーが互いに身近にあるからこそ、切磋琢磨して品質を向上させているのかと納得した、と話す方もいました。また、会場の日本人では、浜松市のブースで通訳を担当されていた谷口菜穂さんが、浜松市が楽器産業や音楽の盛んな都市であることを、今回の展示で初めて知ったと話してくれました。その意味では、「日本人が日本の地方を再発見できる」展示だったともいえると思います。
「ユネスコ本部で各市長がプレゼン」その意義は
この日はシンポジウムも企画され、創造都市の各市長らがパリのユネスコ本部に集まり、それぞれの都市の取り組みについてプレゼンテーションを行いました。日本は、人口減少や高齢化が進む中で、それぞれの地方都市が生き残りをかけているともいえる状況だけに、いずれの都市も歴史的背景や産業構造などの特色を生かして独自の取り組みを展開していました。文化の創造や発展には、地場の産業が大きく関わっているという共通点も見えました。文化の個性がどこから来ているのか、その背景を探ってみると、また新しい発見があるかもしれません。自分が住んでいたとか、両親の実家がある、旅行で何度も訪れているなど、よほど身近な都市でもない限り、私の場合は行政の取り組みを聞く機会もないため、個人的には有意義なプレゼンテーションだと感じました。
しかし、一つだけ気がかりだったことがありました。それは、会場にいたおよそ80人の聴衆、その多くが主催者、あるいは出展した各都市の関係者に見えたことです。各国のユネスコ大使や職員が誰もいないというわけではありませんでしたが、私が確認できたのはイランとパナマのユネスコ大使だけでした。イベントの関係者に聞いたところ、この日はユネスコのほかの会議が重なってしまい、プレゼンテーションに参加できる人が少ない、とのことでした。インタビューに応じてくれた鈴木康友浜松市長も、聴衆が思ったよりも少ないことが残念だったと話していましたが、第三者である取材者の立場からすれば、シンポジウムの参加者がほぼ関係者で占められているというのは、理由はどうあれ、いかがなものだろうかと疑問を覚えました。それこそ、このイベントは日本の地方都市で開催した方が、成果が大きいのではないかとも感じました。
このイベントについて、各都市とも事前に報道機関へ情報提供していると思われますが、一般的に、地方の報道機関には、日常の取材活動の中でわざわざ海外まで出て行く余裕はありません。ユネスコ本部でのプレゼンテーションといえば、壮大なプロジェクトのように聞こえますが、そもそも聞く人がいなければ、実施する意味がありません。今は地方自治体でも海外に出て行くことが大げさなことではなくなりました。地方自治体でも国を越えて積極的に行動することについては私も賛成ですが、このような時代だからこそ、海外への出張については、その成果も含めてきちんとチェックされるべきだと思います。しかし、残念ながら、現在の日本の報道のあり方ではチェックすることができません。今回、プレゼンテーションを聞いている人々の多くが関係者だった理由が、たまたまタイミングが悪かったからなのか、もともと日本の存在感が高くないことを示しているのか、本当のところはわかりません。しかし、いずれにしても各都市の市長や秘書らがわざわざパリまで出向いて、その取り組みを伝えるというのであれば、それなりの人たちにきちんと伝えてもらわなくては、せっかくの地域外交も水の泡ではないかと残念に思いました。
ぜひ日本の地方都市で開催を
会場ではこのほか、抹茶が振る舞われたり、和菓子作りのデモンストレーションが行われたりしましたが、こちらは人目につきやすい場所だったこともあってか、賑わっていました。今回のイベントでは、創造都市へのフォーカスとは別に、茶道や華道など日本文化の伝統的な側面と、「初音ミク」のような新しい日本文化の側面が同時に押し出されている点も興味深く映りました。日本でもさまざまな切り口で、自分たちの地域の文化について見つめ直すきっかけをたくさん作ってもらえたら「文化の創造」がより活発になって、海外からの注目も自然と高まるのではないかと感じました。イベントは10月17日から21日の5日間にわたって開催されたもので、このリポートはそのうちの1日だけを取材したものですが、日本の創造都市が、ユネスコ本部でどのような感触で受け止められたのか、感じ取っていただければありがたく思います。取材にご協力いただいた浜松市をはじめ、イベントの関係者のみなさまには、あらためて感謝を申し上げます。
新しいジャーナリズムの視点から
一般的にテレビや新聞の「ニュース」では、その日のことをその日に伝えますが、この記事では、取材から公開までに一か月以上かかっています。その日に起きたことをその日のうちに伝えることに、私はそれほど価値を見出していません。むしろ、時間をかけてでも、誰も伝えていないことや独自の視点を伝え続けることのほうが、より価値があると考えています。たとえば、今回のテーマについて言えば、時間を置いて報じることによって、このイベントがどのように伝えられたのか、読者のみなさまにじっくりと比べてもらうことができます。下記のリンクをごらんいただくと、伝える主体が誰になるかによって、情報の伝わり方が変わってくることを感じていただけるのではないかと思います。
http://www.unesco.emb-japan.go.jp/htm/jp/jouhou.htm#creative
【ユネスコ日本政府代表部・新着情報】
http://ccn-j.net/hamamatsu/2016/10/pr.html
【創造都市ネットワーク日本】
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shise/koho/koho/hodohappyo/h28/10/documents/2016102108.pdf
【浜松市・報道発表資料】
http://this.kiji.is/160757528610635781
【共同通信47news】
http://www.sankei.com/photo/story/news/161018/sty1610180003-n1.html
【産経フォト(パリ共同)】
http://www.asahi.com/articles/ASJBM3RP5JBMUZHB004.html
【朝日新聞デジタル(山形)】
http://www.kyodoshi.com/news/15112/
【全国郷土紙連合(荘内日報社)】
https://www.kawai.co.jp/news/20161025/
【河合楽器製作所・プレスリリース】
https://www.ikenobo.jp/info/13984/
【いけばな池坊】
(リンク先は12月4日現在)
ある情報がどのように伝えられているか、読者や視聴者に比べてもらうことで社会のメディアリテラシー向上にも役立つのではないかと私は考えています。今回の話題に限らず、私の手元にはさまざまな素材がたまってきていますが、読者や視聴者にとって意味のある情報は何なのか、取材を終えて、少し落ち着いて考えてから記事に取り掛かるスタイルで、今後も気長に発信していきます。その意味で当サイトは本来の意味とは少し違った「スロー」ジャーナリズムですが、読者のみなさまも気長に記事の配信をお待ちいただければありがたく存じます。引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。